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大久保茂氏

 2007年10月23日、東証1部上場の独立系ソフトウェア会社シーエーシー(旧社名:コンピュータアプリケーションズ)の創業者で、ソフトウェア産業の基盤形成に尽力した大久保茂(おおくぼ・しげる)氏が肺炎のため死去した。86歳だった。
 大久保氏は1921年横浜市に生まれた。英語が達者だったことから在日米軍立川基地に事務員として採用され、それが縁で北川宗助氏と知り合った。のち北川氏と行動を供にし、日本ビジネスを経て日本ビジネスコンサルタント(NBC:現日立情報システムズ)の創立に参加した。
 NBCが日立製作所の電子計算機(米RCA社のOEM)を一手に扱っていた関係から、1965年日立によるNBC買収構想が表面化した。このとき東京営業所電子計算機部の部長だった同氏は、渡辺勇作氏(のちCAC専務、故人)、弟・宏氏ら約40人と語らって独立を決意した。

   ■■―負けず嫌い―■■
 翌年6月、東京・赤坂の飲食店で開かれた最終会合で、「政府肝いりのソフト会社(日本ソフトウェア)が設立される見込み」との情報を得た。大久保氏は、「2番目になるのは口惜しい」と、ただちに新会社の準備を進め、8月8日(「八朔」と呼ばれる吉日で、徳川家康が江戸入府した日でもある)に法人登記を行った――という。負けず嫌いな同氏なら、いかにも、の伝説だ。
 社名はNBC課長時代、北川氏の通訳兼運転手として米国を視察したとき、ロサンゼルスで訪問した「コンピュータ・アプリケーションズ」社にちなんでいる。「ボクはビジネスモデルごと日本に持ち込んで、実現したかった」と話していた。
 一貫して資本・受注・人材の「独立」にこだわり、コンピュータメーカー経由でなく、ユーザー直の契約を追及した。また1986年施行の労働者派遣事業法に対しては、情報サービス産業協会副会長として「ソフトウェアエンジニアは派遣業務の対象から外すべきだ」との論を展開した。しかしその一方で技術者派遣に傾斜していくソフト業界の実情を苦々しく感じ、また一方ではソフトウェアの設計・開発から人間くささが消えていくことを歯がゆく思っていた節がある。

   ■■―突っ走るのが好き―■■
 ソフトの受託開発ばかりでなく、ソフトウェアパッケージの販売にも注力し、アシストを創業したビル・トッテン氏を陰で支えた。また1969年には「四社会」を結成、これがソフトウェア産業振興協会の母体となった。
車を運転するのが大好き――というより「ぶっ飛ばすとスカッとする」――で、業界のリーディングカンパニーの社長、ソフト協・情産協の副会長(会長候補)であるにもかかわらず、運転手付きの社用車に乗るのを嫌がった。「アメリカ大陸を横断したとき、アクセルに重たい英語の辞書を置いて突っ走った」と豪放に笑っていたことを思い出す。

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